皇紀2685年(令和7年)乙巳 神無月14日(火)

和氣神社 清掃奉仕

――平安京の礎を築かれた英霊に感謝を込めて――

毎週火曜日は BODYPITKYOTO 定休日。
この日は私にとって、治療家として身体を癒す日であると同時に、心を清め、日本の礎を支えた偉人へ感謝を捧げる日でもあります。

本日は 和氣神社清掃奉仕
今年で4回目、通算8回目の奉仕となりました。
この神社に足を運ぶたび、私は治療家である前に「日本人としての原点」に立ち返る感覚を覚えます。


和氣清麻呂公 ― 国体を護り、平安京を築かれた英雄 ―

神護景雲3年(769年)、奈良時代末。
女帝・称徳天皇の寵愛を受け、権勢を振るっていた僧・弓削道鏡は「自ら天皇にならん」と野望を抱きました。
そのとき「道鏡を皇位に就かせたならば国は安泰である」という神託が宇佐八幡より下ったと、大宰府の役人・習宜阿曽麻呂が奏上します。
しかしそれは虚偽――。

宇佐八幡を深く崇敬していた称徳天皇は、真偽を確かめるため、官僚 和氣清麻呂公 を勅使として遣わされました。
出立の際に詠まれた歌が残っています。

西の海 立つ白波の上にして
何すごすらん 仮(かり)のこの世を

都を発って十余日、宇佐神宮に到着した清麻呂公は、斎戒沐浴して神殿にぬかづき、真の神託を賜ります。

「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし。」

これは、道鏡の野望を退け、皇統を守るという八幡大神の厳粛なご宣託でした。

清麻呂公は勇気をもってこれを奏上し、国家と皇室の正統を守り抜いたのです。


試練と奇跡 ― 八幡大神の御守護 ―

この報告に激怒した道鏡は、清麻呂公を「別部穢麻呂」と改名させ、足の腱を切って 大隅国(鹿児島)へ流罪にします。
しかしその道中、天変地異が起こり、雷鳴轟く中、三百頭の猪が現れ清麻呂公を護衛したと伝えられています。
さらに宇佐八幡に参詣した際、萎えた脚が「霊泉」に浸かるやたちどころに癒えたという。

この奇跡により、後世、猪は清麻呂公の随身・足腰の守護神と崇められるようになりました。
今も和氣神社の拝殿前には「狛犬」ではなく「狛亥(こまいのしし)」が鎮座し、足腰健康・厄除・開運の象徴として人々を見守っています。


姉・和氣広虫姫 ― 慈悲と教育の神

姉の 和氣広虫姫(わけのひろむしひめ) は、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱で、死罪に処されようとした375名の減刑を天皇に願い出て、命を救いました。
さらに戦乱で親を失った孤児83名を養子として育て上げた――
これが 日本初の孤児院の起源とされています。

清麻呂公が築いたのは「国体」と「都」でした。
広虫姫が守ったのは「人命」と「未来」でした。
兄妹が共に示した誠と慈悲の精神こそ、今の日本の根幹に息づいています。


平安京造営 ― 千年の都を創った人

称徳天皇崩御後、道鏡は失脚。清麻呂公は都に召し返され、桓武天皇の信任を受けました。
治水事業・土木工事・民部行政に尽力し、そして運命の転機――

長岡京の造営が難航した際、清麻呂公は進言します。

「淀川上流の葛野の地に、新しい都を」

これが後の「平安京」、すなわち 京都 です。
造営大夫として新京建設を統べ、千年以上続く都の礎を築いたのが和氣清麻呂公でした。

京都に生きる私たちにとって、清麻呂公は単なる歴史上の人物ではなく、今なお息づく英雄です。


ご神徳

  • 足腰・健康守護:霊泉で脚が癒えた奇跡に由来

  • 子どもの守り神・安産:広虫姫の慈悲と養育の徳

  • 厄除開運・災い除け:国難を祓い、道鏡の野望を鎮めた霊威

  • 一願成就:一つの願いを誠心誠意祈れば必ず叶うと伝わる

  • 土木建築・都市繁栄:平安京・治水事業・弘文院創設の功績


私にとっての和氣神社

京都の治療家として、「体を整える」ことを日々の使命としています。
しかしその原点には、「国を整え、世を正した」和氣清麻呂公の精神
が息づいています。

私が和氣神社の清掃奉仕に参加するのは、単なる奉仕活動ではありません。
それは、清麻呂公が築いた平安京への感謝であり、
京都に生きる者としての誇りと責任の表明なのです。

千年の都を築かれた英雄へ。
その御心に少しでも応えるために――。
和氣神社の境内を清め、今日も心静かに祈ります。


皇紀2685年(令和7年)乙巳 神無月14日

和氣神社 清掃奉仕 第8回(令和7年・第4回)
感謝と敬意を込めて。
BODYPITKYOTO 院長 藤崎進一 拝