皇紀2685年(令和7年)乙巳 長月26日(金)
【午前】水無瀬神宮 清掃奉仕(9:00〜15:00)
【夕方】BODYPITKYOTO(16:00〜20:00)
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⛩️ 水無瀬神宮(みなせじんぐう)
■ 御由緒と御神徳
当宮は、鎌倉時代に時の流れに翻弄され、遠く都を離れて隠岐・佐渡・阿波で崩御された三天皇の御霊をお慰めするため、後鳥羽天皇ゆかりの地・水無瀬に創建されました。
この地は、後鳥羽天皇がしばしば行幸され、「わがふるさと」と思し召された水無瀬離宮の跡地であり、たとえ隠岐で十九年の流刑生活を送られても、なお忘れ得ぬ思い出深き場所でした。
水無瀬は、都から近く淀川の水運も便利で、桜・山吹・菊が咲き誇る風光明媚な地。木津・宇治・桂の三川が合流し、両岸には小高い山並みが迫る美しい景観から、多くの和歌や文学が生まれました。後鳥羽天皇の勅命によって編纂された**勅撰和歌集『新古今和歌集』**も、ここ水無瀬の風雅と深く関わっています。
また、後鳥羽天皇は文武両道・多芸多才に優れ、朝廷・武家双方から厚く崇敬されました。そのため、現在も学問・芸能・スポーツの守護神として信仰を集めています。
正平二年(1347)五月には、足利尊氏の弟・足利直義が夫人の安産祈願を当宮で行い、無事男子を授かりました。この故事により、今もなお安産祈願の参拝者が多く、社頭では腹帯の授与も行われています。
※【後鳥羽天皇 御手印置文】
隠岐で十九年を過ごされた後鳥羽天皇は、六十歳の春、己の余命を悟られ、両手に朱印を押し、自らの手で「我後生を返々とぶらふべし(我が来世を幾度も祈り敬え)」と記された書を残されました。これを書かれてわずか二週間後に崩御され、この御遺志を受けて御霊を水無瀬へお遷しし、お祀り申し上げたことが当宮創建の由来となっています。
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■ 御祭神
第八十二代 後鳥羽天皇
第八十三代 土御門天皇
第八十四代 順徳天皇
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いつもBODYPITKYOTOのお宮清掃奉仕活動にご理解・ご協力を賜り、誠にありがとうございます。
本日も、水無瀬神宮の清掃奉仕活動を終え次第、16時より通常通り営業いたします。
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📍 BODYPITKYOTO
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